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―KEN NO CHIKAI― since 2010.10.23
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Posted by - 2024.04.28,Sun
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Posted by MCBT - 2030.10.30,Wed
※当サイト初見の方は以下をお読みください※

ここは『聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話』(車田正美原作・手代木史織漫画、秋田書店)に出てくる山羊座の黄金聖闘士エルシドを中心とした二次創作サイトです。
版権元等とは一切関係ありません。
名前変換はありませんが、メインはオリキャラのヒロインが出る夢小説に近いものです。そして死にネタです。
苦手な方はパスしてください。
オリキャラの出ない「普通」の二次創作もあります。
※カテゴリーを再編しました(2012.7.16)。

サイト内容・物語設定についてはこちらをご覧ください。
※執筆後の原作漫画・アニメの展開によって一部変更しています。

このサイトの基本となる「主編」1本がこの下に畳んであります
(2010.10.23初、2010.12.11・2011.6.25改、2014.4.12全面改訂、9.30改、2015.2.14一部差替)。
その他の物語を時系列順に並べた作品一覧を作りました(2011.8.7、随時更新)。
主な登場人物・オリキャラの有無はこちらからわかります。
オリキャラなしの方は原作の知識のみで読めますが、オリキャラありの方はこの「主編」が前提になります。

内容の無断コピーはご遠慮ください。
リンクはフリーです。連絡は不要ですが、いただければ喜びます。
お世話になった(なっている)方々への謝辞はこちらに(2013.6.30)。


参加させていただいたエルシド受アンソロは完売しました。
皆様、ありがとうございました!   
    
 


拍手[5回]


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『剣の誓い―KEN NO CHIKAI―』

 

「始まり」

 守りたいと思っていた。
 母は体の弱い人だった。父は優しい人だった。少女はまだ11歳の子どもに過ぎなかったけれど、両親は自分が守るものと決めていた。
 村が襲われたのは、聖戦も遠くないとささやかれるようになった頃。冥界からの何かに刺激された化け物が村に侵入したのだった。ただならぬ破壊音と人々の叫び声、上がる火の手。村はずれにいた少女はあわてて家へ駆け戻った。村の家はあちこちで壊され、人が倒れていた。
「お父さん! お母さん!」
 少女は家の前で倒れている二人に駆け寄った。顔を上げると、少し離れたところにいた化け物がこちらを向くのが見えた。あれが…! 少女はきっと化け物を見据えた。化け物がふとたじろいだように立ち止まった。にらみ合いがしばらく続いた刹那。
 金色の光が一閃した。
 いつの間にか、化け物との間に金色の鎧を纏った人物が立ちふさがっていた。見ると、化け物は真っ二つに斬り捨てられていた。
「エルシド様、こちらは片付きました」
 周囲から革や金属のプロテクターをつけた人物が数人駆け寄ってきた。目の前の人影が動き、顔がこちらに見えた。少女は驚いた。それはまだ、微かにとはいえ、少年の面影を残す顔だったから。
「貴方は…?」
「俺は山羊座の黄金聖闘士エルシド。聖域から来た。到着が遅れてすまなかった」
 金色の鎧の人物は少女とそのひざに抱えられている既に動かぬ母親を見て言った。聖域。そこは冥界との戦いに備えての闘士が集う場所。少女は思わず叫んでいた。
「私を連れて行ってください! 私も戦えるようになって…守りたいんです! 守りたかったんです…」
 エルシドと名乗ったその人物は、改めてこちらを見直した。少女も決意を込めた強い眼差しで見返した。
 それが、出会いだった。

 一行に同道した少女は、聖域のことを、聖闘士のことを知った。とりわけ黄金聖闘士について、山羊座の黄金聖闘士について。かの光を放った存在について。あの一瞬、目前の死もすべて忘れ、その鋭くも美しい光に魅せられた。
 聖域に着いて、少女は聖闘士になるべく修行を開始した。女聖闘士を志す者としての仮面をつけて。そして名乗った。『ティソナ』と。中世の英雄『エルシド』の剣の名を。

 

「修行」

 聖域に来て六年。修行は辛く厳しく、同じ頃に来た者が決して多かったわけではなかったが、幾人もが脱落していった。女で聖闘士を目指す者はさらに少ない。そんな中で、必死の日々が続いた。それでも、ティソナは持ち前の頑張りで、次第に頭角を現していった。遠からず、聖衣取得のための試合が行なわれる。小宇宙はかなり扱えるようになったものの、まだ足りない。その思いが頭を占めていた。
 早朝の修練場。何故だか早くに目が覚めてしまったティソナは、そこに一人立っていた。守りたい、という思いの強いティソナには激しい攻撃技が作れないでいた。防御とともに相手を跳ね返すような攻撃ができれば…。
 ティソナは心を集中して小宇宙を燃やす。足下の地面に、自分を中心とした円形の光の線が現れる。小宇宙を高めるにつれ、その円は広がってゆく。ここだ!と思ったときに力を放つと、その円から筒状に光の壁が立ち上がって、ティソナの周りを覆った。摩擦音とともに外側に広がった光の壁が、周囲の岩を跳ね飛ばす。
「グリタリングサークル!」
 知れず、口からたった今獲得した新しい技の名前が飛び出す。
「やった…!」
 ティソナは小さな歓声をもらした。これをもっと広く、強くできれば…!
 さらに技を高めようと努めている姿を、修練場の隅から見ていた人影があったのをティソナは知らなかった。エルシドが、早朝なら人がいなかろうと、やはり鍛錬に励もうとして来ていたのだった。自らが連れてきた少女のことは気にかかっていた。そしてその少女がひたむきに修行に励む姿を目にしたのは初めてではなかった。エルシドは、気配を消したまま、声をかけずにティソナの姿を見守っていた。

 試合は、その実力を知らない者たちの予想に反して、ティソナの完勝だった。小柄な少女は見くびられがちだったが、そのスピードと技のキレはなかなかのものだった。
「今こそティソナを一人前の聖闘士と認め、ここに南の冠座(コロナ・アウストラリス)の聖衣を授ける」
 ティソナは聖衣箱の横で頭を垂れながら、ついに聖闘士になれた喜びをかみしめていた。これで私も人々を守るために戦える…!
「事態は緊迫の度を増している。この地上のために死力を尽くし、アテナを守るのだ!!」
 同時に、教皇の訓示に心を引き締める。ここまで長い道のりだったとはいえ、ようやく出発点にたどり着いただけとも言える。まだまだあの人には遠く及ばない。少しでも近づくためには、もっと…!

 修練場には聖闘士を目指す候補生以外にも、雑兵や既に聖衣を得た聖闘士たちもやってくる。その聖闘士の最上位である黄金聖闘士の姿はめったに見られなかったが、たまに見かけたとしても、候補生や雑兵はもちろん、並の聖闘士とも格が違い、ほとんどの場合、遠くからその鍛錬の様子を見守ることしかできなかった。エルシドは黄金聖闘士の中では修練場を訪れる回数が多く、常に黙々と鍛錬に励んでいた。そんなエルシドの姿に憧れる聖闘士たちがいつしかその下に集うようになると、エルシドは部下として彼らを受け入れ、その鍛錬に付き合ったり、時に任務への同行を許した。聖闘士になって二年目の年、ティソナもその中にいた。

 目に焼きついて離れない光景がある。一閃した金色の光。それは振りおろされた大剣にも似て。
 聖闘士には、なった。だがまだまだ力不足。エルシドの剣技は憧れの技だったが、自分と黄金聖闘士には遥かな力の差があるのもわかっていた。小宇宙を放つ間合いも短い。それでも自分なりの何か…!
 夜、ティソナは修練場に下りていた。何かもう少しで形になりそうな気がしたのだ。右手に小宇宙をこめる。素早く薙ぎ払うように手を動かす。と、後ろで激しい殺気がした。こんなところに敵…? ティソナは振り返りざま腕を振るった。誰かの腕がそれを受ける。ティソナは驚いてその顔を見つめた。エルシドがそこに立っていた。今の殺気はティソナに攻撃をさせてみるためわざと発したものだったようだ。それまで気配を殺していたにちがいない。
「エルシド様…!」
「もう一度打ち込んでみろ。全力でだ」
 ティソナは仮面の下の表情を引き締めた。一旦後ろに跳び離れ、タイミングをはかって一気に間合いを詰める。宵闇の中、透んだ、白い光が短剣のように空間を裂く。
「クリスタルカットラス!」
 エルシドが手首に巻いていた布のはじが切れて跳んだ。
「あ…」
「受け流しきれなかったな。いい技だ」
 エルシドはわずかに口元をゆるめて言った。その表情に何故か心臓がどきりとなる。
「あ、ありがとうございます!」
 エルシドが自分の修行に付き合ってくれたことに礼を述べる。
「遅くまで励むのは感心だが、あまり根を詰めすぎるな」
「はい…。エルシド様のようにはいきませんけど、私の短い間合いで使える技をどうしても何とかしたかったので」
「それで『短剣』か。お前らしい」
 ティソナは頭を下げて再度礼を言った。
 同じことはできない。自分らしい技を。部下として、少しでもこの人の力になるために。

 

「聖闘士」

 下級の聖闘士だけの任務の帰途。
 ティソナは自分の故郷の村の近くを通ると知り、仲間と別れて立ち寄ってみることにした。ティソナがここを去ってから七年近くになる。あのときの化け物の襲撃で両親は既に亡く、知人も多数命を落としていた。
 村は覚えていたより小さく感じられた。見覚えのない建物があり、見覚えのない顔がある。あの事件の後に建て直したものや、近隣から移住してきた者たちだろう。歩いてくるティソナを見ると、村人は次々に通りから家の中に入り、戸を閉めてしまった。聖域近辺では問題ない女聖闘士の仮面が異様に感じられるのかもしけないと、ティソナは仮面の下で目を伏せた。
 ふと、戸口のところにすわっている老女に目が留まった。この人なら知っている。
「あの――」
「おお、聖闘士様、ご苦労様ですな」
 老女は丁寧に頭を下げた。そうか。わかるわけがない。仮面をしているのはもちろんのこと、私がここにいたのはまだほんの子どもの頃。声を聞いても、たとえ顔を見ても、わかるとは思えない。
「――お元気ですか」
「はい、おかげさまで。…この近くに何か出ましたのでしょうか。また人死にが出るのは御免ですがなあ」
 老女の言葉にティソナははっとした。そうだ。村人が怖れるように家の中に入ってしまったのは化け物や冥闘士から身を守りたいからなのだ。聖闘士がいるということは化け物や冥闘士が出たととられるのは当然だ。
「いいえ、大丈夫です。少し離れたところですし、それももう終わりましたから」
「ありがたいことです」
 老女は拝むように再び頭を下げた。だが、こんな風に感謝する気になれない者もいるだろう。聖闘士は化け物や冥闘士と戦う。そのことから聖闘士の姿に災いの影を見、聖闘士自体を疎む者もいると聞く。
 ティソナは黙って礼を返し、老女の前を辞した。この村に、聖闘士である「私」はもはや無用のものなのだ。

 村はずれの小高い丘の上から、ティソナは村を振り返った。おそらくもう戻ることはないだろう故郷。静かに小宇宙を高め、村全体に平安の小宇宙を送る。人々は顔をあげて、目が合った人と何とはなしに微笑みあう。一人でいる者も、ふと心が和み微笑を浮かべる。ほんの一時。女神様のようにはいかないけれど、一時の、平安を。

 廃墟に立ちこめる煙。ティソナは唇をかみしめる。間に合わなかったか…!
 と、悲鳴が聞こえた。子どもをかばう母親の姿が見える。ティソナは一跳びで冥闘士と親子の間に飛び込む。
「クリスタルカットラス!」
 鋭い手刀の剣風で冥闘士が血煙をあげて倒れ伏す。
「大丈夫ですか」
 ティソナは後ろを振り向く。
「なんでもっと早く来てくれないんだよう!」
 子どもの泣き声が耳に刺さる。
 母親は子どもを抱えたまま言葉もなく震えていた。だがその恐怖に満ちた目は倒れた冥闘士ではなく、自分に向けられているのにティソナは気づく。鬼神のごとく、全身に返り血を浴びたその姿に。

「…どうした?」
 聖域に戻り部下を解散させたあと、立ちつくしているティソナにエルシドが声をかけた。ティソナは血に汚れた自分の手を見つめていた。この手でいくつ命を消した? 守りたいと思っている。守るために戦う。だが戦うということは敵を殺すこと。
「冥闘士も人間なのでしょうか?」
「肉体的にはな。斬れば血を流して死ぬし、彼らにも係累はあったかもしれん。だが人間としての記憶が残っているとしても、魔星に呼ばれて冥闘士になった者は、ハーデスの意思を実現させることが全てに勝る優先事項となる。それは地上の平和とは決して相容れないものだ」
「私たちのやっていることは…」
「聖闘士の道は修羅の道だ。守るためには敵を殺す。その覚悟がなければ聖闘士は務まらん」
 エルシドの声は厳しい。その声にティソナも顔を上げる。
「はい」
「聖闘士になったことを後悔しているか?」
 ティソナはこちらを見やるエルシドの目をまっすぐに見つめる。
「いいえ…! 私が、自分で選んだ道ですから」
 エルシドは小さくうなずいた。
 後悔はしない。時には辛いときもあるけれど。自分のしたことには弁解はしない。倒した敵の血も全て受け入れて。これが私の貫く道だから。

 

「女聖闘士」

 厳しい修行や任務の間でも、女聖闘士とその候補生の宿舎では、そこは若い女性同士のこと、聖闘士の誰が好みだの格好いいだののトークに花が咲くこともあった。女を捨てる覚悟で外では仮面をしているとはいえ、聖闘士や雑兵の中に恋人がいる者や思いを寄せる相手がいる者もいるのだ。そんな中、手の出ない高嶺の花として、黄金聖闘士はむしろ気楽によく品定めの話題になっていた。アルバフィカ様は美しすぎるとか、アスミタ様は神秘的だけど得体が知れない感じだとか、マニゴルド様は遊び人っぽいとか…。
「エルシド様はちょっと無愛想で近寄りがたいよねー」
「そんなことないよ! エルシド様は無口だけど部下の面倒見も良くて本当はお優しいのよ!」ある女聖闘士の言葉にティソナは反論した。
「そりゃ、あんたはエルシド様の部下だもんねー。ひいきなのもわかるけど。思い切ってアタックしてみたら?」
「そんなんじゃ…!」
 女だけのささやかなおしゃべりで夜が更けていった。

 はじめはただ驚異の目で見つめるだけだった。目に焼き付いている金色の光の拳。聖闘士を目指すようになってからは、それは憧れ、いや目標に変わった。到底追いつくことはできないけれど、尊敬の念を込めての目標に。それは今でも変わっていない。心からの尊敬は。
 それ以外の思いが入り込んできたのはいつからだろう。気がつけば目がいつもその姿を追っていた。聖闘士としてとは違う気持ちで。振り払っても振り払っても募ってくるその思い。仮面をし、聖闘士として戦っているときは一線が引ける。だが――。
 私は聖闘士。今はまさに聖戦が始まりつつある時。自分に人々を守るために揮える力があるのなら使いたい。女であっても、一人の聖闘士として。
 だけど私は一人の女でもある。憧れからいつの間にか変化したこの気持ち。あの人の顔を思い浮かべると、胸がぎゅっと締め付けられる。いくら仮面をしていても、どうしようもなく心の中を占める思い。求めてはいけないと思いつつ。
 エルシド様がどうして聖闘士になったのかは知らない。そう言えば、私はほとんどエルシド様のことを知らないのだ。エルシド様は多くは語らない。それでも、女神と人々とこの世界を守るため、常に自らを鍛え、戦うその姿が私の心を捉えて離さない。できうることなら、ともに立っていたい。同じ大地に。

 

「告白」

 聖域を離れての任務は無事終了した。エルシドと同行した二人の部下のうち、一人は軽傷だが負傷したので、任務完了の報告を持って先に戻った。細々とした後処理を手伝うため無傷だったティソナは残ったが、思いのほか手間取ったため、すべてが終わったときはずいぶん遅くなっていた。
 聖域へ向かって出発して間もなく、滝のような雨が降り出した。すぐやむ通り雨かと思ったが、ちょっとした嵐になった。猟師の狩小屋があるのを見とめると、エルシドは前進を止め、そちらへ向かった。戻って戻れないことはなかったが、聖域まではまだ結構ある。任務終了の報告もすでに送ってあることでもあり、エルシドは部下の疲労を気づかって雨が上がるまで留まることを選んだ。狭い小屋で大した設備もなかったが、小さな暖炉があり乾いた薪が置いてあった。
「上がるまでしばらくかかりそうだな」エルシドは窓から外を見ながら言った。
「そうですね」
 ティソナは火を焚く支度をしながら応じた。体が震える。雨で冷えただけではない。エルシド様と二人…。他には誰もいない。ティソナはぐっと手を握りしめた。
 ことり、と小さな音がした。エルシドは振り向いて、目を瞠った。ティソナが仮面をはずしてこちらを見ていた。その意味は。しばらくして耐え切れないようにうつむき、小さな声で言った。
「聖闘士としてずっと尊敬していました。部下にしていただいて、すごく嬉しかったです。でも、いつの間にかそれだけでは…」
 かたん、と小さな音がした。エルシドがヘッドパーツをはずして机の上に置いた音だった。ティソナが顔を上げると、エルシドがティソナのすぐ前に立っていた。
「俺はお前に何も与えてやれん。何も残せん」
「そんなこと…!」
 何も求めてはいない。わかっている。聖闘士は明日をも知れぬ命。なればこそ、通じ合う思いがあるならば、束の間の時を。
 エルシドの手がそっとティソナの頬にふれる。「…それでもいいか?」
 エルシドの真摯な瞳が目の前にある。信じられない、という喜びが胸に広がる。
「…はい」
 エルシドの眼差しがふっと和らぐ。二人の距離がなくなる――。


 ティソナは目を開けた。見知らぬ天井が見え、しばらくどこにいるのか思い出せなかった。
「目が覚めたか?」
 すぐそばでした声に、昨夜のことを思い出し、頬がさっと熱くなった。エルシドが穏やかな顔でこちらを見ていた。
「あ、あの…」
 思わず上掛けに顔を隠そうとしたが、それがエルシドのマントだと気がついてまた頬が熱くなった。
「お前の顔を見るのは久しぶりだな。七年ぶり、か。初めて会ったとき以来か」
「覚えて…いらしたんですか?」
 エルシドの言葉にティソナは羞恥を一瞬忘れてその顔を見た。
「ああ。まだ聖闘士でもないのに小宇宙を感じて驚いた。化け物がお前に気圧されていたろう。気づいていなかったか?」
「あのとき…私、小宇宙を…」
「そうだ。だから聖域に連れてきた。しかし本当に聖闘士になるとはな。大きくなったものだ」
「エルシド様だってあのときはまだちょっと少年っぽかったです!」
 ついむきになって言い返すと、
「違いない」
 エルシドはくくっと笑った。普段は見られないそんな表情を間近で見て、ティソナは胸が熱くなるのを感じた。
「…嘘です。あのときエルシド様はもう立派な聖闘士様でした。私はただの子どもでしたけど」
「だが、お前も今は聖闘士だろう?」
 エルシドの手がのびて、そっと額に口づけを落とす。
「雨もようやく上がったようだな」
 窓を振り仰いで、エルシドは身を起こした。そろそろ外が明るくなる頃のようだった。ティソナも名残惜しい気持ちを抱きながら起き上がった。聖衣を纏えば黄金聖闘士と部下の関係に戻る。
 二人は使ってしまった薪を補充し、小屋の中を整えてからそこを出た。

 

「聖域」

 とある任務で訪れた近隣の村。ちょっとした化け物騒ぎが片付いた後。
「ありがとうございます!」
 村の娘たちが飛び出してきて礼を言った。エルシドが振り向くと、ちょっと気後れしたように押し黙る。
「どうしました?」
 ティソナがすっと近寄って暖かい声をかける。表情の見えない仮面の女聖闘士でも、このあたりの村の者は聖闘士に慣れているので、若い女性の声にちょっとほっとしたように表情をゆるめる。
「あの、これ、つまらないものですがアテナ様に…いつもお守りいただいているお礼に」
 娘たちは小さな箱を差し出した。あけると中に天然石で作られた素朴なネックレスが入っていた。宝石というほどのものではないが、このあたりは貴石の産地だ。
「きれいですね…」
 ティソナが言うと、娘たちは少し恥ずかしそうに細工や石に込められている思いについて口々に語った。エルシドは手をかざして小宇宙で探ってみた。怪しい呪は感じない。アテナ様に届けると言うと娘たちは嬉しそうに笑った。

「こういうものは…お前が説明してくれるか?」
 エルシドに請われ、ティソナは教皇の間まで同行することになった。
 エルシドには慣れた道だが、通い慣れぬ者には教皇の間までは長い。宝瓶宮を過ぎ、双魚宮に差しかかった頃。
「疲れたか?」
 エルシドはやや遅れて後ろを登ってくるティソナの方を振り返った。
「…大丈夫です!」
 妙に慌てたようにティソナが答える。
 エルシドの任務の報告の後、ティソナは女神に村で聞かされたことを語った。娘たちの心を込めた細工、石が象徴する思い―願いについて。
「ありがとう。素敵なものですね。今度お礼を言っておいてください」
「はい」女神の言葉に一礼し、二人は女神と教皇の前を辞した。

 教皇の間の外で射手座の黄金聖闘士シジフォスと行きあった。
「エルシド、次回の調査の時も頼むぞ」
「わかった」
 シジフォスはふと何か近しい小宇宙を感じて、そのかたわらの女聖闘士に目を留めた。
「君の南の冠座は俺の射手座のすぐそばだね。頑張っているかい?」
「はい…!」
「俺にもかわいい部下がいなくて残念だ」
 シジフォスは笑いながら手を振って、教皇の間の方へ向かっていった。

 双魚宮を通りかかったときだった。数本のピンクと白の薔薇がふわりとティソナの手元に飛んできた。驚きながらこわごわとその花を手に取ると、
「大丈夫、その薔薇には毒はない」
 宮の奥から現れた人影が微笑んで言った。
「あ、ありがとうございます、アルバフィカ様」
「どうせ相変わらず殺風景なのだろう? たまには花でも飾るといい。ああ、」
と何か思いついたように言葉を切ると、アルバフィカは今度はエルシドの方に何かを投げて寄越した。
「磨羯宮にはそんなものはなかろう。貸してやる」
 小振りの花瓶だった。エルシドは苦笑しながら受け取った。双魚宮の主は二人には近寄らずにまた奥へ戻っていった。

 磨羯宮まで降りた。そろそろ暗くなる時分だった。
「寄っていくか?」エルシドがティソナを振り返った。
「は、はい!」胸をどきりとさせながら答えた。
 磨羯宮の表の間は、教皇の間への途上に通るし、任務の打ち合わせで何度も来たことがあったが、奥の居住区の部分に入るのは初めてだった。十二宮はその主である守護者が守り、住まう所。余人にはそうそう立ち入らせない場所だ。
「茶ぐらいいれよう」
「あ、私がやります!」
 薔薇を花瓶に生けた後、昔母親に習った茶のいれ方を思い出しながら、細心の注意を払って二杯の茶をいれた。
 ヘッドパーツをはずしてすわっていたエルシドは一口茶を口に含んだ。
「うまいな」目元をほころばせた。
「そんな…大したことないです」
 照れ隠しに自分も茶を飲もうとして、まだ仮面をしていたことを思い出した。おずおずと仮面をはずして自分もすわり、茶に口をつけた。
 自分の分の茶を飲み干してエルシドはティソナのそばにやってきた。
「お前が良ければ、いつでも磨羯宮に来て茶をいれてくれ」
 その微笑みに痛いほどの嬉しさがこみ上げる。エルシドの手が髪にふれた。アルバフィカにもらった薔薇が優しく香る。ティソナの飲みさしの茶が机の上で冷えていった――。


 すでにとっぷりと日は暮れていた。
「失礼します」
 順々に声をかけながらティソナは宮を降りていた。主が不在の宮も多かったが、巨蟹宮の主は在宅だった。会釈しながら通り過ぎようとしたときだった。
「エルシドは優しかったか?」
 振り返るとマニゴルドのニヤニヤした顔があった。顔が赤くなるのがわかり、自分が仮面をしていることに感謝した。
「何を…」
 声が無表情な仮面を裏切る。その反応にマニゴルドの笑みが深まった。
「あいつは融通の利かない奴だが悪い奴じゃない。ま、うまくやんなよ」
「!…」
 ティソナは逃げるように巨蟹宮を出た。

 

「共闘」

 聖戦も本格化しつつあり、冥闘士の出現がちらちらと聞かれるようになっていた。冥闘士以外にも、冥界の気にあてられたかのように、ときおり化け物の出没が伝えられていた。そのため、聖闘士の多くは各地を哨戒するようになっており、ティソナもしばしばその任についた。強力なものが出たという場所には黄金聖闘士が出撃することもあった。
 今日もそんな任務についていたティソナは、近辺に数日前から連絡が取れなくなった村があるという話を聞いたことを思い出し、そちらへ向かってみることにした。
「…っ!」
 村には異臭が立ち込めていた。倒れている遺体のいくつかは変色し、不気味な斑点が浮いている。焼かれた形跡もあり、家々の壊され方も激しい。毒や火を使う、それもかなり大きなものが暴れまわったしるしだ。
 これは…私一人の手に負えないかもしれない。それでもどんなものが出たのか確かめておかなくては。ティソナは慎重に辺りを窺いながら進み始めた。

 ほどなくして、ティソナは何か大きなものが周囲の木や草を薙ぎ倒しながら進んだ跡に出くわした。
 その跡を確かめていると、唐突に赤ん坊が泣くような声が聞こえてきた。この先の村の子どもか? だが妙に一本調子なのが気になった。赤ん坊なら親の声も聞こえそうなものだが…。すると少し離れたところからもつられたように子どものすすり泣きが聞こえた。途端、赤ん坊の声はぷつりとやみ、その方面から邪悪な小宇宙が立ち昇った。子どもの泣き声がしたところからも抑えていたらしい小宇宙が守るように燃え上がったのが感じられた。この小宇宙は…!
 動き出した邪悪な気配を追うと、化け物の背が見えた。胴体は山羊のようにも見えるがずっと大きく、頭は獰猛な肉食獣のそれで、尾は鎌首をもたげた蛇だった。神話の化け物、キマイラがこんなところに…! 村から迷い出てきたらしい二人の子どもとともにいるのは黄金の鎧を纏った姿。子どもたちは恐怖の余りその聖闘士にしがみつくようにしている。あれでは満足に腕が振るえない。
 子どもに向けて化け物が火を吐いた。守り手の聖闘士はその攻撃は防いだものの、不十分な体勢の間を狙って尾の蛇が襲いかかった。子どもをかばうために上げた右腕を、蛇の牙が抉る。
 ティソナは化け物の後ろから技を放った。子どもたちに害が及ばないようにあまり強い技は使えない。化け物がこちらに向き直る。引き離さねば…! 立て続けに技を放ちながら背走する。化け物はうまいこと食いついて追ってきた。巨体にもかかわらず足が速い。このままでは遠からず追いつかれる。少し行ったところで立ち止まった。怖ろしげな顔で唸りながらキマイラが距離を詰めてくる。ティソナはすくんでいると見せて動かずに『それ』を待った。右手から鋭い剣圧がやってきた。タイミングを見据え、ぎりぎりのところでティソナは後方に跳び離れた。だがキマイラも素早く跳び下がっていた。
 目の前に深い裂け目が穿たれた。向こう岸になった場所でキマイラは咆哮すると、向きを変えて走り去った。

 激しい剣圧で擦過傷になりかかった腕をさすりながらティソナは近づいてきた人影を振り返った。
「ティソナか。お前がここにいるとはな」
「エルシド様! その腕は…!」
 エルシドの右腕の傷は深く、血が滴っていた。
「不覚を取った。しばらく周囲の警戒を頼めるか」
「はい!」
 ティソナはグリタリングサークルのリングを二人の周辺に巡らした。エルシドは上半身の聖衣を解除すると、ためらいなく自分の星命点を突いた。傷口から血が迸る。
「…!」
 ティソナは息を呑んだが、黙ったまま警戒を続けた。キマイラの尾には毒があると言われている。それを抜き取るために違いない。
 しばらくして血が止まると、エルシドは何事もなかったような顔で再び聖衣を纏った。
「大丈夫…ですか?」
 エルシドはそっけなくうなずく。かなりの量の血を放出したのだ。決して『大丈夫』なはずはないが、今は戦いのさなか。
「先程のは…」
「時間を稼いで接近を妨害するためだ。お前なら気づいてよけられると思っていた」
 予期していたのをわかっていたのだ。その信頼が嬉しかった。
「あの子どもたちは…?」
「その場を動かずにおとなしくしているように言い含めたが」
 小さな子どものことだ。長くはもつまい。エルシドの体調も万全ではない。早めに決着をつけないと。
「今度現れたときに決めるぞ」エルシドも考えは同じであるようだ。
「はい!」
「あいつの動きは速い。足を止める隙を作るために、姿を見かけたら連続で技を放て。だがくれぐれも間合いを詰め過ぎるな」
 ティソナは仮面の下で表情を引き締めてうなずいた。自分の技はエルシドのものほど射程が長くない。攻撃を相手に届かせ、なおかつ間合いを保つのは至難の業だ。だが困難でも、要求されたものには何としても応えたかった。とはいえあの尾はくせものだ。力が強そうな巨体からの攻撃も受けたらただでは済むまい。自分まで負傷しては、保護すべき子どものほかにさらに足手まといをふやすことになる。威力を犠牲にしても軽いが遠くからでも届く攻撃を、自分の信条である動きの素早さでしかけるしかない。相手に勝る素早さで。自分の役目は敵を一人で倒すことではない。
「行くぞ」
 二人は地面を蹴って、裂け目を跳び越えた。

 キマイラは裂け目を越えられる場所を探してうろついているようだった。微かに唸り声が聞こえる方へ進む。近い。エルシドが足を止めた。ティソナはエルシドにうなずくと跳び出した。
 化け物の姿が目に入った。ティソナは高く跳びあがると、上方から技を撃った。キマイラは首を振りあげ、咆哮とともに火炎を吹いて対抗してきた。
「くっ」
 すんでのところで炎をかわした。平気な顔をしていても負傷しているエルシドにあまり移動の負担をかけたくない。もっと引きつけて…!
 自分に範囲攻撃がないのが残念だったが、左右から素早く攻撃を繰り出しては離脱する。鞭のようにしなって襲ってくる尾の蛇を避けつつ吐かれる炎をよけ、振るわれる強力な前足をかわす。危険を承知でそば近くまで踏み込んだと見せ、技を放って跳び離れる。これを繰り返し、じりじりと位置を移動する。
 苛立ったキマイラは一声大きく咆哮すると、ものすごいい勢いで跳躍して間近に迫ってきた。その足が地につき、前足と尾が振りかざされた瞬間。目の前が黄金の輝きで覆われた。エルシドの斬撃が、その胴体を真っ二つに叩き斬っていた。
 斬り飛ばされた前足と尾が体をかすめて落ちてゆきながら、落ちるそばから塵に返っていった。巨大な獅子の頭も山羊の胴体も、見る見るうちに塵と化して消えていった。やはり自然の生き物ではなかったようだ。ティソナは息をついた。エルシドがゆっくりと後ろから現れた。その顔に浮かぶ微かな笑み。
「上出来だ」
「エルシド様、腕は…」
 威力と正確さを期して、エルシドは負傷している利き腕の右で技を放ったため、一度は止まっていた血がまた滲んできていた。
「問題ない」
 エルシドは言ったが、ティソナはそっと手を当てて自分の小宇宙を注いだ。エルシドもそれを拒まなかった。
「子どもを村へ送ったら聖域へ帰るぞ」
「はい」
 共に戦えたことが嬉しかった。この人とともにあることが、私の生きる理由だから。

 

「守り手」

 アテナ様から直々に依頼された任務だった。
 何としても果たさなくては。そして報告に戻らねば。


 ティソナが女神神殿に呼ばれたのは単独でだった。
 まだ幼さの残る女神が申し訳なさそうに、それでも切実な願いとして頼んできたこと。それは、女神が子ども時代を過ごしていた街に程近い街にある孤児院のこと。冥闘士が頻出している場所に近く、その街もいつ襲われるともしれなかった。折りしも孤児院を切り回していた神父がなくなり、たまたまそのことを知った女神は隣街の慈善家に話をつけ、子どもたちをそちらに引き取ってもらうことにしたのだった。その子どもたちを連れて行く役目だった。何事もないはずだった。思いもかけず早く、冥闘士が来襲しなければ。

 子どもたちは十人いた。
「じゃあ、行くよ。忘れ物はない?」
「俺たちに持ち物なんかないよ」
 子どもたちのリーダー格の少年がふてくされたように言う。それでも皆なけなしの身の回りのものなどを持っていた。
「ごめん、ごめん。じゃあ、これまでの感謝のお祈りをしたら行こうね」
 先ほどの少年を含め子どもたちは存外素直に、祭壇に向かってひざまずき、手を組み合わせて目を閉じ何事かつぶやいていた。ここで過ごした日々、優しかった神父さんのことなどに思いを馳せているのだろう。
 皆の祈りが終わると、ティソナは子どもたちを率いて出発した。街外れまで来たときだった。ふいに感じた黒い小宇宙。
「みんな、下がって!」
 ティソナは子どもたちの前に出て小宇宙を探る。一人ではない…! ここは聖域からかなり遠い。援軍を呼ぶ小宇宙通信は届かない。もちろん呼びに行っている暇もない。守りきれるか? いや、守らねば!
 冥闘士が姿を現した。一人…二人…三人。三対一か。女神に託された任務。子どもたちの一人たりとも手にかけさせるものか。
「グリタリングサークル!」
 ティソナは小宇宙を燃やし、子どもたちの周りを光の壁で囲む。
「この壁から出ちゃ駄目だよ。あいつらはこれにさわれないからね」
「あ…!」
 後ろで切羽詰った声がする。はっとして横を見ると、道端の何かに気を取られていたのか、少し離れてしまっていた女の子が目に入った。光の壁の外に、恐怖の表情を浮かべて立ち尽くしている。じりじりと冥闘士が近寄ろうとしている。
 「大丈夫だよ」ティソナは努めて平静な声で少女に話しかけた。「今、ちょっとだけここの光のカーテンをあけるから、そうしたらすぐ飛び込んでね」
 少女がうなずく。隙ができるが仕方がない。
「今よ!」
 ティソナはわずかに光の壁に隙間をあける。リーダー格の少年がすかさず手を引いて少女を引っ張り込む。
「よし、うまいよ!」
 ティソナは少年の咄嗟の動きを褒める。だが冥闘士もその間を狙って攻撃してきた。
「ぐっ…!」
 光の壁を維持しながら隙間をあけるという微妙な作業の状態では防御がままならなかった。左腕に衝撃が走り、だらりと垂れ下がる。
(骨、やられたな)
 子どもたちは全員光の壁の中に入った。だがこの状態で、光の壁を維持しながら、冥闘士に攻撃をかけられるか…? 自分の直接攻撃は間合いが短い。壁の中に入っていては打てない。
「みんな、そこから動いちゃ駄目だよ」
 ティソナは安心させるように言うと、光の壁の中に踏み入った。自分の作った光が体を焼く。構わずティソナは進み、光の壁の外に出る。
「こいつ、出てきたぜ。片腕も使えないのによ」
 冥闘士の一人が笑う。腕一本やられたぐらいで聖闘士が引き下がるか…! ティソナは黙って右腕を構える。まだだ…。全員がもっと近くに来てから…。一人が飛び出しながら技を放って来る。ティソナは素早くステップを踏むように避ける。今だ!
「クリスタルカットラス!」
 間近に迫っていた三人の冥闘士に技があたる。二人は倒れ伏したが一人は肩をかすっただけだった。しまった! 相手の技が飛び、脇腹に火のような痛みが走る。ティソナが倒れると、勝ち誇ったように冥闘士が近寄ってきた。ティソナは起き上がりざまに敵の懐に飛び込む。それを予期していなかった相手の胸元に手刀が埋まる。
「…たばかったな…」
「油断したね」
 敵がどうと倒れる。ティソナは慎重にあたりを探った。怪しい小宇宙は感じない。確認して、子どもたちの周りの光の壁を解く。
「お姉ちゃん!」
 子どもたちが駆け寄ってくる。
「…大丈夫」
 まだ任務は完了していない。ティソナは脇腹に小宇宙を集めて傷をふさぐ。皮一枚の差だったが、内臓まではやられていない。
「さあ、行こうか。また悪い奴らが来ないうちにね」


 子どもたちは無事に隣街に送り届けた。怪我を心配する子どもたちや慈善家に心配ないと答え、ティソナはそこを後にした。聖闘士が長居して冥闘士を引き寄せるわけには行かない。早く女神に報告して安心させてもさしあげたかった。ずいぶん心配なさっていたようだったので。ちょっといろいろあったけど、子どもたちは無事に送り届けました…。
 ようやく聖域にたどり着いた。瞬間移動の効かない十二宮を見上げると眩暈がしたが、努めて考えないようにして階段を上り始めた。気がつくと磨羯宮まで来ていた。そう言えば今日はエルシド様はいらっしゃっただろうか? 頭が働かない。
「ティソナ…!」
 振り向くと聖衣をまとったエルシドが立っているのが見えた。ああそうだ、今日はエルシド様も任務があるんだった…。
「アテナ様からの任務、完了しました。報告に上がります」
 エルシドは何か言おうとしてやめ、うなずいた。
「わかった。だがちょっと待て」
 エルシドが近寄って来て、ティソナの脇腹に手をかざす。いつの間にかまた開きかかっていた傷口に癒しの小宇宙が注がれる。
「ありがとうございます…」
 それ以上何か言う余裕がなかった。ティソナは残りの階段へ向かった。
 教皇の間に入ると、女神が息をのみ、教皇が眉を寄せたのがわかった。ああ、そう言えば、血塗れた聖衣のまま、水場で汚れも落とさずに来てしまった…。
「南の冠座のティソナ、ただ今帰還いたしました。途上三名の冥闘士に遭遇しましたが退け、子どもたちは無事に送り届けました」
 ひざまずいて報告の口上を述べた。ふいに目の前が暗転した。だが床は感じられなかった。

「あ…」
 女神は玉座から立ち上がりかけた。が、エルシドが物陰から素早く進み出て意識を失ったティソナの体を支えていた。
「大丈夫なのですか?」
「今までの出血と気がゆるんだためであろう。傷も命にかかわるものではない。治療してしばらく休めば大事はなかろう」
 教皇がティソナの状態を見て言った。女神はほっと息をつく。
「冥闘士が三人も…。単なる引率のつもりだったのに…私が無理を言ったばっかりに」
「アテナ様の願いを叶えるのは我ら聖闘士の務めです。お気を煩わせませぬよう」
 エルシドが静かに言った。
「ところでお前もこれから任務に行くのだったな?」
「はっ」
「ではティソナは磨羯宮で休ませておくがよい。出かけるのならちょうど良かろう。ここには怪我人を休ませる所がないからな。磨羯宮なら近いゆえ、下の施療所に運ぶよりも体の負担は少なかろう。あとで治療師を呼んでおく」
 エルシドは部下への配慮に頭を下げる。
「…ティソナも磨羯宮ならゆっくり休めよう?」
 女神に聞こえないように言った教皇の言葉には答えず、エルシドはそっとティソナを抱え上げると自宮へ向かって降りて行った。


 暖かい小宇宙を感じる。ティソナは目をあけた。見慣れた天井。ここは…磨羯宮?
 はっとして起き上がろうとしたティソナをそっと押しとどめる手があった。一見小さな、だが大いなる力を秘めた手。
「アテナ様…」
「起き上がらないでください、ティソナ。どうぞそのままで」
 女神が癒しの小宇宙を送りながら枕元にすわっていた。
「申し訳ないです、アテナ様…もう大丈夫ですから」
「そう、なのですか」
 女神はやや心配そうながら小宇宙を送るのを止める。傷には自分より前に、エルシドが送り込んでいた癒しの小宇宙を感じた。素っ気ないように見えるが、深く気遣っているその証。折れた腕は治療が施され、顔色もさっきよりは良くなっている。女神は少し安心した。
「今度のことは…ありがとうございました。それほど切迫していたとは思わないで、貴女には大変な思いをさせてしまいました」
「いいえ、お礼など。アテナ様からの任務を賜ることは聖闘士として光栄です。私たちの務めですから。ちょっと手際が悪くてご心配をおかけしました。どうかお気を煩わせませぬよう」
 同じ言葉。聖闘士としての。二人の間の絆が感じられ、サーシャは心が暖かくなるのを感じた。

「アテナ様、」
「参りました」
 間もなく日が沈む時分、二人で教皇の間に呼ばれた。女神は玉座にすわっていたが、珍しく教皇の姿がない。まだそんなに遅くないとはいえ、勅命を聞くには妙な時間だった。
「ティソナ、元気になったようですね。良かった」
「はい。ご心配おかけしました」
「今日来てもらったのは…任務の話ではありません」
 女神はその顔に、穏やかな笑みを浮かべて言った。
「今ここには私たちしかいません。ティソナ、仮面をはずしていただけませんか」
 ティソナは顔をあげた。女神の顔を見て覚悟を決めたように仮面をはずす。女神はティソナの顔を見て笑みを深めた。
「やっぱり、思った通りのきれいな顔ですね」
「いえ、私はそんな…」
 焦ったようにティソナが否定しようとするのを女神は制して言った。
「幸せな顔は美しいものです。ティソナ、エルシド、あなたたちのことは聞いています。聖闘士の…私の戦士たちの幸せは、私の喜びです」
 二人は恐縮して頭を垂れる。
「もし良ければ、あなたたち二人を正式に…」
 エルシドは驚いたように女神の顔を振り仰ぎ、次いで隣のティソナの顔を見た。ティソナも驚いた様子だったが、決意をこめた顔で口を開いた。
「もったいないお言葉を、ありがとうございます。ですが、今は聖戦の折、そして私は…私たちは聖闘士です。聖闘士として全うするため、極力個人的なことは控えたく思います。アテナ様のお気持ちだけで十分でございます」
 女神の顔を真っ直ぐ見据え、きっぱりとした声音でティソナは言った。
「あなたも…良いのですか、エルシド」
「はっ。私も同じように申し上げようと」
「そうですか…」
 女神は少し残念そうに微笑んだ。
「ではせめて、受けてください。私からの祝福を」
「「喜んでお受けいたします」」
 礼をこめて、二人は深く頭を下げる。その頭上に、暖かい祝福の小宇宙が注がれる。
「心から祈ります、あなたたちの幸せを」

 並んで磨羯宮へと降りていく二人の姿を、サーシャは微笑んで見送った。

 任務の帰り、ロドリオ村を通りかかったときだった。村の若者の結婚式が行われているのに行きあった。貧しい村のこと、ごくささやかな祝いに過ぎない。それでも、質素だが心づくしの晴れ着を着た青年と娘は心からの笑みを浮かべていた。
「…気になるか?」
 一瞬、足を止めたティソナにエルシドが問うた。
「幸せそうですね…」羨ましさが全くないと言えば嘘になる。けれど。
「あの笑顔が、私たちの守るものですね。でも私は守られているだけなのは嫌なんです。エルシド様と同じところに立っていたいんです。私に力があるのなら、できる限り。…さあ、戻りましょう、聖域へ」
「ああ」
 人としてのささやかな幸せを求めて、聖闘士であるのをやめること。私はそれを望まない。聖闘士の務めは、地上の平和を守るため。自分には力がある。守るための力が。自分にできることをしたい。できればこの人とともに。

 

「痛恨」

 冥闘士が現れたという知らせがしばしば聖域に届くようになり、聖闘士たちが出撃することも増えてきていた。
 そんなある日、冥闘士が村を襲っているという報を受けて、エルシドとその部下たちも、聖域に程近いある村に向かった。

 状況を確認してエルシドは眉間に皺を寄せた。
 既に十人近い冥闘士が村に入り込んでいるようだった。開けた所に冥闘士だけでいるのなら、魔星持ちといえど、エルシド一人で五~六人いっぺんに倒すことができる。だが冥闘士たちは家から引きずり出した村人をなぶって楽しんでいた。この状態でエルシドが拳を振るえば、そばにいる村人をも傷つけてしまう。
「一人ずつ片付けるぞ」
「はい!」
 部下たちは一斉にうなずいた。敵の数が…自分たちより多いが、何とかするしかない。エルシドは先手を切って飛び出すとたちまちのうちに二~三人の冥闘士を斬って捨て、首領格の奴に向かっていった。部下たちも手近な冥闘士に対するため飛び出した。
 ティソナは子どもを掴みあげていた冥闘士の間近に迫ると、その腕を斬り払った。取り落とされた子どもを抱えると一旦後方へ跳び離れて子どもを下ろし、再び止めを刺しに戻る。無力な者たちをなぶるような輩だ。手加減するつもりはなかった。突っ込んでくる冥闘士をかわしながら斬るために身を開いたとき、物陰に隠れている冥闘士が目に入った。最初にエルシド様が倒した奴らを引いても確かまだ一人多かったはず…! そいつはエルシドの背後を狙っていた。
「エルシド様!」
 考えるより先に体が動いた。冥闘士とエルシドの間に飛び込んだが、迎撃の態勢を取る時間はなかった。
 肩から腹にかけて衝撃が走った。目の前が自分の血で真っ赤に染まる。
 目の隅に、エルシドがそれまでの敵を斬り捨てて向き直るのが見えた。
 しまった…!
 それがそのとき最初に浮かんだ思いだった。受けた斬撃の苦痛よりも何よりも。
 エルシド様はちゃんと背後の敵に気づいていた。余裕を持って間に合うようにしていたのに、私は余計な真似を…。
 エルシドは不用意に進み出てきた敵を一撃で斬り伏せた。
「あとは」抑えた声で残りの部下に問う。
「…今のが最後です」

 皆が倒れたティソナのそばに集まった。もはや手の施しようがないのは明らかだった。
 エルシドがティソナを抱え起こす。そしてためらいなくその仮面をはずした。後ろで他の部下たちが息をのむのが聞こえたが、エルシドは構ってはいなかった。
 目の前で。自分を守ろうとして。
「ティソナ…!」
 ティソナはエルシドの方に目を向けた。視界に入るのはもはやその顔だけ。
「貴方があんな奴に後れを取るなんてことはありえないのに…貴方を信じていなかった私を愚かと…必要もないことをした自業自得な愚か者と…お切り捨てください…聖闘士として失格です…お気に病まれませぬよう…」
 これだけは言わなくては、と思ったことを、ティソナは切れ切れに口にした。聖闘士としての冷静な判断ができなかった。愚かだったのは私。どうか、私のために苦しまないで。
「…最期までお供できないことをお許しください…貫いてください…貴方の道を」
 無力感に、エルシドはティソナを抱いた腕に力を込める。
 ティソナは笑みを浮かべてエルシドの顔を見上げた。貴方の部下で光栄でした。愛しています。エルシド様――

 エルシドはティソナの体を抱いて立ち上がった。
「戻るぞ。聖域に」


 聖闘士の死は聖域では珍しいことではない。任務から戻った黄金聖闘士とその一行を、人々は目礼して見送った。やはりちょうど任務から帰ってきたらしい蟹座の黄金聖闘士は、エルシドの腕の中の仮面のない女聖闘士の顔に眉を上げた。何か声をかけようとして思い直し、そのまま無言ですれ違った。

 

「誓い」

 慰霊地の丘で聖衣修復をしていたシオンは顔を上げた。エルシドが何かを持ってそこに立っていた。ひびが入り、破損した南の冠座の聖衣。
「この聖衣を頼む。血が必要なのだったな?」
 エルシドは左手の手甲をはずすと、鮮やかな手つきで己の手首を切り、聖衣の上に自らの血を注ぐ。聖衣を纏わない鍛錬のとき以外めったに見ない、ヘッドを取ったその顔。硬く動かぬその横顔を、シオンは黙って見つめていた。
「そのくらいで十分だ」
 しばらくしてシオンは静かに言った。エルシドは止血をし、シオンは包帯を巻くのを手伝った。
「邪魔をしたな」
 エルシドは立ち上がって出て行こうとしたが、ふと夜空を見つめて立ち止まった。
「戦えるようになって…守りたい、か。俺は…」
 あとはもう何も言わず、そのまま出て行った。シオンは無言で見送った。

 守りたいものを守れるようになるために。逝った魂に誓う、我が剣はさらに鋭くなると。

(End)

 
 
あとがき解説
 
  

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プロフィール
HN:
MCBT
性別:
非公開
自己紹介:
8月20日獅子座生まれ。
2008年頃に、ひょんなことで車田正美の漫画『聖闘士星矢』にはまる。漫画を読了後、アニメもOVA・TV版・映画版と観て、ギガントマキア・ロストキャンバス・エピソードGなどのスピンオフ作品にまで手を伸ばす。
トータルでの最愛キャラは車田星矢の黄金聖闘士、双子座のサガ(ハーデス編ほぼ限定)なのだが、このところ何故かロストキャンバスの山羊座の黄金聖闘士エルシドにはまっている。全然タイプは違うのだが、格好良さに惚れた。
二次創作は読むことはあっても書くことはないと思っていたのだが(いやかつては読むこともしなかったのだが)、とうとう禁?を破ってこんなことに。
このサイトは二次創作に特化させた「エルシド別館」なので、ロストキャンバスの新刊の感想等はこちらの「本館」のブログのカテゴリー「聖闘士星矢」を参照されたい。

何かありましたら
mcbt★br4.fiberbit.net
まで(★を@に)。
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