その化け物はどこか人に似ていた。人を真似て適当に作られたかのようなそれは、そのためにかえって醜悪な感じがした。エルシドとその部下はそれを追い詰め、取り囲んだ。
化け物はゆるゆるとその「顔」を動かし、まるで確認するかのように一人一人の顔を見回した。そしてティソナを見たときその動きを止めた。やはり妙に人間を思わせるその動きにティソナが顔をしかめたときだった。それの「顔」から胴体にあたる部分がふいにぼやけたように感じられたと思うと、そこにありえないはずのものが見えた。
「…!」
ティソナの体は凍りついた。そこには…そこには何年も前に死んだはずの母親の姿があった。そんな、なぜ…。
「気を散じるな、ティソナ!」
エルシドの鋭い声が飛んだ。ティソナははっと我に返り、かろうじて体を動かした。顔の左側、仮面のきわに鋭い痛みが走った。化け物がその鉤爪のついた触手を振るったのだった。皮肉にも、その痛みが意識をはっきりさせる。まだ母親の姿は見えるものの、化け物の姿も透けて見えた。他の者たちはいぶかしげにティソナの方を見ている。見えていない…? 精神攻撃か。私だけを狙った…!
母親の姿はなお微笑みながらティソナの方を見ている。その後ろで触手が機会を窺っている。その姿を…その姿を使うとは。よくも…!
ティソナは前へ踏み出した。小宇宙を高める。だがいつもの素早い動き、敵といえども苦しませずに一瞬で息の根を止める動きではなかった。
「グリタリングサークル…」
光の輪が立ち上がる。化け物の「足」の部分が断ち切られ、がくりと膝をつくようにくずおれる。「母」の姿は哀願するようにティソナの方に手を伸ばす。おのれ…!
ティソナは化け物の前に立ちはだかり、手刀でばさりとその胴を薙ぎ払った。目の前を血がしぶく。それもまた人間のような、赤い血。返す刀でその「顔」を縦に斬り下ろす。そしてその首を斬り飛ばす。「母」の首を――。
「もういい」
エルシドの手が肩にかかった。ティソナはようやく動きを止めた。化け物の姿は既に原形をとどめず、あたりはそれの血で真っ赤だった。いつの間にか「母」の姿は消えていた。まだ年若いラスクが顔面蒼白になって口を押さえているのが見えた。
「どうした」
エルシドが問うた。
「精神攻撃を…かけてきました。幻を見せて…!」
ティソナは食いしばった歯の間から声を絞り出した。他の部下たちが驚いた顔をしたが、ティソナの目には入らなかった。
聖域に帰りついた。エルシドは部下を解散させたが、ティソナの方を向いて言った。
「お前はちょっと磨羯宮まで来い」
「はい…」
いまだ硬い声でティソナは答えた。
「ティソナ、エルシド様に何か叱られるのかな?」
二人を見送りながら、ラスクはまだ青い顔をしながら言った。ティソナらしくない先ほどの行動。
「いや、それはないだろう」
ツバキが難しい顔をしながら答えた。部下たちは心配そうに十二宮を上っていく姿を見送った。
磨羯宮に着いた。ティソナはエルシドに導かれるまま、奥の間に入った。
「見せてみろ」
何を言われているのかわからなかった。エルシドが手を伸ばしてティソナの仮面を取った。そして顔の左側、仮面のきわにつけられた傷にふれた。傷を受けたことなどすっかり忘れていたが、まだ血は止まっていなかった。エルシドが手に小宇宙をこめる。そして癒しの小宇宙をそっと傷にあてる。黄金聖闘士の、小宇宙による癒し。
「エルシド様…」
傷を自覚するようになって感じ始めた痛みがゆっくり引いてゆく。ティソナは少しずつ体の力を抜いていった。しばらくしてエルシドは静かに聞いた。
「何を見せられた?」
「私のところが一番弱いと…女だから脆いだろうと見なしていました…」
聖闘士としての誇りを傷つけられた憤り。その侮辱に身が震えた。
「…母の姿を見せました。私の大切な思い出を…」
大切な思い出を汚された悔しさ。その姿を斬り裂かずにはいられなかった苦しみ。また手が震えてきた。ティソナは手を硬く握りしめた。エルシドがティソナを抱き寄せた。エルシドの体から発せられる癒しの小宇宙が静かに体に染み入ってきた。
「っ…!」
「無理をするな」
優しい声に堰が切れた。喉から、叫びとも嗚咽ともつかない声がほとばしり出た。怒りと悔しさと悲しさと。それはずっと押し込めてきたものでもあった。胸をかきむしるような慟哭の声は、なかなかやまなかった。
…暖かい。ティソナは目を開けて、思わず赤面した。エルシドに抱きかかえられて眠っていたのだった。昨日のことがよみがえる。悪夢のような出来事と、その後。ずいぶん取り乱してしまった気がする。それでもエルシドはずっと優しかった。腕の重みが心地よい。まだ外は暗いようだ。もう少し、このままでいたい。ティソナはエルシドの胸に寄り添って目を閉じた。エルシドの腕がわずかに動いてそっとティソナを引き寄せた。
エルシドは、ティソナがまた穏やかな寝息をたてるようになったのを見計らって目を開けた。どうやら落ち着いたようだ。顔の傷が痛々しかった。心を抉る傷痕のように。心の傷には何もしてやれない。自力で乗り越えるしかないものだが…。わずかに小宇宙をこめてそっと全身を包み込む。せめて、ひとときの安らぎを。
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サイトにアップしたときにすでに入れていた「慟哭」の章ですが、一番最初に作ったときにはなく、その後追加したものなので、少し浮いているなあと思っていました。
その後「鮮赤の道」や「仮面の下」などティソナの葛藤を描いたものを書いたので、それらと同様に、という意味も含め独立した話としました。 主編はもっとストレートな形にすることにして、「共闘」と差し替えました。 主編に入れていたときはあえてはずしていた他の部下の名前も入れました。
2008年頃に、ひょんなことで車田正美の漫画『聖闘士星矢』にはまる。漫画を読了後、アニメもOVA・TV版・映画版と観て、ギガントマキア・ロストキャンバス・エピソードGなどのスピンオフ作品にまで手を伸ばす。
トータルでの最愛キャラは車田星矢の黄金聖闘士、双子座のサガ(ハーデス編ほぼ限定)なのだが、このところ何故かロストキャンバスの山羊座の黄金聖闘士エルシドにはまっている。全然タイプは違うのだが、格好良さに惚れた。
二次創作は読むことはあっても書くことはないと思っていたのだが(いやかつては読むこともしなかったのだが)、とうとう禁?を破ってこんなことに。
このサイトは二次創作に特化させた「エルシド別館」なので、ロストキャンバスの新刊の感想等はこちらの「本館」のブログのカテゴリー「聖闘士星矢」を参照されたい。
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